2007.04.22 Sunday
アメリカの希望の星:オバマ上院議員
◆イラク特措法の延長をしないこと、これが重要だ。by Kaisetsu
国際情勢ブログ
米大統領選に「場外参戦」=イラク政策でオバマ候補と激突−豪首相 [ オーストラリア ] / 2007-02-18 【ワシントン12日時事】
2008年の米大統領選挙で民主党の有力候補になっているオバマ上院議員に、オーストラリアのハワード首相がかみついた。同議員がイラクからの早期撤退を掲げているためだが、選挙報道で盛り上がり始めた米メディアも場外からの参戦を一斉に伝えている。
シドニーからの報道によると、ハワード首相は08年3月までのイラク撤兵を標ぼうするオバマ議員の政策について「テロリストを勇気付けるだけだ」などとこきおろした。同首相はブッシュ大統領の盟友の一人として知られている。
この発言についてホワイトハウスのスノー大統領報道官は12日、直接の言及を避けながらも、「大統領のイラク政策に反対するなら、世界をどうやって安全にするか示さねばならない」と、ハワード首相に同調する姿勢をにじませた。
これに対し、オバマ議員は即座に反論。遊説先で米メディアに「オーストラリアは1400人しかイラクに派遣していないはずだ。もしそれほどイラクでの戦いに準備ができているというなら、あと2万人ほど送ればいいではないか」などと不快感を示した。
オバマ議員は10日、リンカーンゆかりの地イリノイ州スプリングフィールドで出馬を正式表明したばかり。米メディアは「自分の国が犠牲を払っていないときに強硬なことを言うのは簡単だ」という同議員側近のコメントを伝えている。
◆オバマ氏の登場によって、米国は一変しつつある。これまでの、二世・三世議員にウンザリしていた米国が草の根のスターに憧れだした。既成の枠組みを打破するエネルギーを感じている。米国は、変化する時、根本から変われる力を持っている。by Kaisetsu

WashingtonDC同時代記
アメリカ政治・社会についての話題を随時紹介
アメリカの希望の星:オバマ上院議員(#13 4/1/2006)
(抜粋)
党大会でのオバマの演説は衝撃的だった。党大会では4日間にわたり昼から夜まで延々と毎日20人ほどの演説が続く。夜になってビル・クリントン前大統領やヒラリー上院議員、ジョン・エドワード副大統領候補やジョン・ケリー大統領候補が登場するまでは、いわば前座にすぎず、聴衆もまばらで盛り上がらない。オバマの演説する2日目は、特に大物の演説の予定もなく、中だるみの感があった。私は会場に隣接した記者用ファイリングセンターで、テレビ中継を見ていた。ぼんやりと画面を眺めていたら、オバマが登場したとたん、会場の雰囲気が変わったのがわかった。聴衆が耳を澄ましている。椅子に座りなおした。オバマは、少し早口だが、言葉は明瞭で、間の取り方も抜群だった。初めての大舞台とは思えない落ち着きがあり、ひとつひとつのメッセージは心に響くものがあった。「ただものではない」と鳥肌がたった。
演説の題名は「The Audacity of Hope(希望がもたらす大胆さ)」で、自らの生い立ちに触れながら理想のアメリカの実現を訴えた。(1)
「父は、ケニアの小さな村に生まれヤギを追っていた。祖父はイギリス人の召使でコックだった。しかし、祖父は息子、私の父への夢があった。父は懸命に勉強して奨学金を得、大きな希望を抱いてアメリカにやってきて母に会った。
母はまったく別世界のカンザスで生まれ育った。母の祖父は大恐慌を石油採掘場や農場で働いて切り抜け、真珠湾攻撃後戦争に行き、祖母は赤ん坊を育てながら爆弾製造工場で働いた。戦後二人はGIビルで進学し、よりよい暮らしを求めてハワイへ移り住んだ。母の祖父母も娘への夢があった。
こうしてアフリカの祖父とアメリカの祖父母の夢を受け継いだ私の両親は、愛を分かち合っていただけでなく、アメリカという国の可能性を信じる信念も分かち合っていた。彼らは、その子供に、寛容なアメリカでは名前が成功の妨げになることはないと信じて「祝福されたという意のアフリカの名前『バラク』を授けた。彼らは、アメリカでは自分の才能を発揮するために裕福でなくてもいいと信じて、自分たちは豊かではないけれど息子は最高の学校に進学することを夢みた。
二人とももう亡くなっているが、今夜、彼らは誇りを持って私も見下ろしているだろう」
オバマの人生は実際、アメリカン・ドリームそのものだ。留学生としてやってきたケニア人の父とカンザス出身の典型的な白人家庭出身の母の間に、両親が大学に通っていたハワイで生まれた。父はオバマが2歳のときに家族と別れケニアに帰国、オバマは再婚した母親とともに幼年時代をインドネシアで過ごし、10代はハワイの母方の祖父母のもとで育てられた。黒人への差別やアメリカ社会の矛盾を身を持って体験しながらコロンビア大学で学び、卒業後シカゴの貧民街でコミュニティー・オーガナイザーへ。その後チャンスをつかみハーバード大法学部に進み、弁護士になった。ハーバード時代には、権威ある学術誌「ハーバード・ロー・レビュー」の初の黒人編集長に。1996年にイリノイ州議会の上院議員に当選した。
演説では、「アメリカという国家が素晴らしいのは、摩天楼の高さや、軍隊の強さや、経済の大きさにあるのではなく、『すべての人間は平等で、自由と幸福を追求する権利がある』という建国の精神に我々が誇りの基礎を置いているにことにある」とし、職の海外流出や、最低賃金、健康保険、教育費など、格差が広がるアメリカ社会で特に中流階級以下の人々が直面している問題の解決を掲げた。


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